都電荒川線の愛称が「東京さくらトラム」に決まったのをご存じでしょうか。その停留場(駅)の一つ「学習院下」は、名前の通りに学習院大学への最寄の一つ。目白の高台にある学習院や、落語の「道灌(どうかん)」にも出てくる山吹の里伝説の地など、見どころたっぷりですてきな散歩が楽しめるところです。

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学習院下停留場

都電最盛期の昭和18年(1943)には41系統、1日平均193万人の人が利用していたそうです。自動車交通量の増加によりそのほとんどが廃止されてしまったので、都内に唯一残る路面電車である都電荒川線はとても希少。

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「王子電気軌道」が敷設した路線を東京市が引き継いで今に至ります。車道と並走するところも一部ありますが、ほとんどが専用の軌道上をコトコト走ります。

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「学習院下」を南下すると神田川と並行して次の停留場が「面影橋(おもかげばし)」。桜の季節は見事な景色を見せてくれますが、新緑の季節などもすてき。橋のたもとには、太田道灌ゆかりの「山吹の里の碑」が立っています。

学習院大学

停留場より北西の高台に位置するのが創立140周年を迎えた「学習院」の目白キャンパスです。旧華族の子弟を対象とした教育機関としてはじまり、神田、四谷を経て現在地に移転し戦後に私学となりました。

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緑あふれる敷地内には国の有形登録文化財に登録された建造物が7つもあります。

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赤穂浪士の堀部安兵衛(ほりべやすべえ)が高田馬場の決闘による血で汚れた刀を洗ったとされる「血洗いの池」も、歴史ファンに知られています。また、生徒・児童の通学の際にランドセルを使用したのは明治18年(1885)で学習院が最初でした。

千登世橋

千登世橋は、明治通りの上を目白通りが交差する形の架道橋として昭和7年(1932)に架けられました。

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橋の西詰には明治通りに続く斜路があります。幹線道路同士の立体交差として都内でも土木史的に価値が高く、「東京都の著名橋」に指定されています。

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橋東詰には広場が設けられ、花壇に橋の案内板と架橋工事に尽力した「來島良亮君(大正・昭和時代の土木技術者)の碑」が設けられています。明治通りと並行して都電が走っているので千登世橋に続いて千登世小橋が架けられ、眼下に都電の車両を見下ろすことができます。

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目白不動金乗院・南蔵院・浅間神社

このあたりには、こぢんまりとしたお寺や神社が点在しています。

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かつて「くらやみ坂」とも呼ばれた「宿坂」のふもとにあるのが、「金乗院」。創建は天正年間(1573~1592)のようです。山門をくぐって右手にある「目白不動尊」は文京区関口にありましたが戦火で堂が消失したため、戦後このお寺に移りました。江戸守護の「五色不動」の一つとして名高く、「目白」の地名の由来ともいわれています。

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金乗院から歩くことわずか数分で、室町時代創建の「南蔵院」です。ご本尊の立像薬師如来は聖徳太子の作とされています。境内には山吹の里弁財天の石碑、彰義隊士の首塚、音羽山や二子山といった名力士の墓があります。また三遊亭圓朝が創作した「怪談乳房榎」ゆかりの寺でもあります。

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南蔵院のはす向かいにあるのが、平安時代創建の「高田総鎮守氷川神社」です。境内は掃除が行き届いて静謐かつ神秘的な雰囲気に包まれています。正面の石像鳥居は寛政2年(1790)に寄進されたもので、くぐると右手に戦火にあったという旧狛犬が並んでいます。本殿の右奥に境内社である「高田姫稲荷神社」もあります。

高戸橋

新目白通りと明治通りの交差点北側の神田川に架かるのが「高戸橋」です。旧町名である豊島区高田と新宿区戸塚を合わせて誕生した名前でしょうか。

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並走する都電荒川線は、橋を渡ったところで左に大きくカーブします。ここで一時車道を横切るのですが、踏切がないので電車は車の往来を停車して待つのがルールになっています。

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橋上からの眺めは、東側の桜が絶景! 西側の眺めは神田川の本流と分水路が交わる(神田川・高田馬場分水路・妙正寺川)という、珍しい景色を見ることができます。

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